|
櫻山招魂社関係事項 |
関連する事件 |
安政6年(1859年) |
|
|
文久2年(1862年) |
|
|
文久3年(1863年) |
- ■12月16日、白石正一郎、山口なる高杉晋作と談あり「我等同志のものは何時戦没するや計り難し、皆互に予め生墳を築くこと妙策なれ」
|
- ■1月、坂下門外の変
- ■5月、馬関攘夷戦
- ■6月、奇兵隊創設
- ■8月、教法寺事件
京都政変、七卿落ち
天忠組挙兵敗退
- ■10月、河上弥一、白石廉作ら奇兵隊士八名脱走但馬生野に蜂起
|
元治元年(1864年) |
- ■1月23日、白石正一郎、奇兵隊幹部を岡の原に案内
- ■2月8日、新地招魂場検分、開墾着手
- ■3月29日、五卿招魂場視察
社殿造立を説く
- ■4月25日、錦小路卿遺品を招魂場に留む
|
- ■4月、錦小路頼徳卿歿
- ■6月、池田屋事件
- ■7月、蛤御門の変
- 四国連合艦隊による馬関砲撃
第一次征長発令
- ■11月、中山卿暗殺
- ■12月、高杉晋作、功山寺義挙
|
慶応元年(1865年) |
- ■4月16日、奇兵隊総督山内梅之進以下招魂場視察、上棟式打合せ
- ■7月2日、招魂場棟祭
- ■8月3日、山県狂介、三好軍太郎白石家にて祭典打合せを行う
- ■8月4日、高杉晋作、萩椿八幡宮宮司「青山上総」白石家にて祭事打合せ
- ■8月5日、正一郎神事奉行引き受け
- ■9月23日、吉田松陰の神霊を祭る
|
|
慶応2年(1866年) |
- ■7月7日、小倉戦争戦死者合祀
- ■10月27日、高杉晋作、招魂場下に移り静養
- ■櫻山歌集刊行
|
- ■1月、薩長連合成る
- ■6月、四境の役開戦
- ■8月、徳川家茂歿、征長を停む
- ■12月、孝明天皇崩御、明治天皇践阼
|
慶応3年(1867年) |
|
- ■4月、高杉晋作歿
- ■10月、大政奉還
- ■12月、王政復古の大号令
|
明治元年(1868年) |
|
- ■1月、鳥羽伏見の戦
- ■3月、五か条の御誓文
- ■4月、官軍江戸入場
- ■閏4月、神祇官復興
- ■10月、江戸城を皇居と定む
|
明治2年(1869年) |
|
|
明治5年(1872年) |
- ■6月12日、天皇西国御巡幸の途次、高島昭光を勅使として差遣、宣命並びに幣帛料下賜せる
- ■8月29日、坊長二州の殉難者神霊合祀祭(県知事命)
- ■9月1日、報国隊合祀臨時祭(白石奉仕)
- ■9月22日、23日、報国隊墳墓移築合祀大祭(白石奉仕)
|
- ■4月、三条の教憲
- ■8月、学制発布
- ■11月、日本紀元制定
太陰暦を廃し、太陽暦を採用
|
明治6年(1873年) |
|
■1月、徴兵令公布 |
明治7年(1874年) |
■内務省の達示によって招魂祭を官祭と定めらる |
|
大正3年(1914年) |
■10月、四境の役 五十年祭 |
|
昭和8年(1933年) |
|
|